2019.5.15

植物誌と憲法と動揺

 
「植物誌」絵と文 佐藤達夫(「タツナミソウ」毎年我が家の庭にも生えてきます)

若き日、皆で恋などに精出していた頃
友人が「わたし変な顔やから好きになってくれるひとはみんな性格ええ人ばっかりなんよね」と言っていたこと思い出している夜

そんな私は「わたし仕事があまり出来ないしわがままやからつきあってくれるお店はいいお店ばっかりなんよね」と日頃感謝している。
えほんやるすばんばんするかいしゃの荒木さんがSNSに絵本の在庫を整理して近いうち2階をクローズしようと思うと書いていて動揺した。
お店というのはあるべき場所にいつものようにあってくれることで精神的安定を保てるところがあるが、お店をやっているのは人なので、変化するのであってそれは自然なことだ。健康的なことだ。わかっちゃいるが動揺はするんである。

そんな荒木さんはご夫婦で古い絵本を売ることを仕事としている。(近頃は絵本を作る方もしている)古絵本屋さんである。店内所狭しと置かれた世界中から集まってきたボロくて美しい絵本たちの中に買っても買ってもまた登場する絵本がある。色々あるだろうけど例えばアンドレ・エレの「ノアのはこぶね」。あれ?この間私買ったよね。と聞くと「この本いいでしょう。好きなんですよねー。これ僕好きなんですよー。」と言って本棚から引き抜いて、じっと見つめてはまた差し込んでいる。その本もまた誰かのところに買われていくのをしばらく店内で待つ日々を送るのだ。そういった「この本いいよねー好きなんだよねー」ってのが古本を商う人には何冊かあるもんなのだと思う。

「植物誌」という本もそういう一冊だ。ずいぶん前に名古屋のティザーヌ・インフュージョンで購入した。古本屋ではないが時々古道具を扱っているお店ティザーヌ・インフュージョンの則武さんは「この本好きなんだよねー。見つけると買っちゃうの。」と愛しそうに表紙を撫でていた。それから「続・の方はそこまでじゃないんだよねーやっぱり最初の一冊がすばらしいのよね。続はご本人が亡くなられてからご家族が出されたのよ。」と言っていた。

植物のスケッチ画とそれぞれの植物に寄せたみじかいエッセイを集めたもの。年のはじめから季節を追って順に採取し正確に紙にうつしている。絵も素敵だが文章もとても個人的な感じがして読んでいて頬がゆるんでくる。
時々、もっと味わいたくなって植物の名前を書き出してみる。あけび、なでしこ、はなまし、タツナミソウ・・ ん?チョットマテヨ
タツナミソウの頁に『シソ科に属する五月の野草で背の高さは鉛筆くらい』と書いてあって、思わず笑ってしまった。野草の高さを鉛筆にたとえているのは初めて見たし、この人の半径2m以内にすっと近づいたような気分になった。
著者は佐藤達夫さん。そして最近知って大変おどろいたのだけど、実はこの方こそが戦後「日本国憲法」の制定に終始深く関わった法制官僚である。間違いなく現在のこの国の形を作った人の一人と言えるだろう。目の前にある何度となく開き馴染んできた野草の絵と文を書いた人が同じ手で憲法を作ったのか…と思うと何だかもう凄すぎて静かに胸いっぱいしみじみとしてくる。

植物誌のあとがきには『扱った植物は、庭で育てたものや、次女のいけ花のおさがりや、東京ちかくの野や丘で採取してきたものなど、ごく身ぢかなものが大部分である。我流の、まったくお恥ずかしい絵だが、すべて実物をお手本にいっしょうけんめいに描いた。へたながらも、草木にたいするわたしの愛情がすこしでも滲みでていたらうれしいと思う。』とある。『忙しい公職をもつわたしが、こんなのんきな本を出したりすると、いかにも、本職をおろそかにして、わき道に熱中しているように誤解されそうである。しかし、これは、まったく業余の息ぬきであり、ひとさまがゴルフや麻雀を楽しみ、野球放送などに興じておられる時間をあてての、わたしなりのレクリエーションなのだから、このくらいのあそびは許していただけるだろう。』とも。

荒木さんのすきな一冊も則武さんの大切な一冊も、私の本棚に並んでいる。よしよし。あまりに佐藤さんが凄い人過ぎたせいで、話が大きくなってしまった感があるが、自分にとって大切なものを教えてくれる信頼のできる店って大事。変化の兆しに動揺しつつ感謝をしてるし、いつも応援し祈るような気持ちでいるというはなし。

*登場した本
アンドレ・エレ 「ノアのはこぶね」訳 堀内誠一 福音館書店

植物誌 絵と文 佐藤達夫 雪華社

*佐藤達夫さんのことを読んでハッとした記事
内閣法制局を憲法の番人にさせた「旧内務官僚」

*登場したお店
えほんやるすばんばんするかいしゃ
ティザーヌ・インフュージョン

2019.5.14

「人形と紙の上のみじかいおはなし」の準備

初夏を感じる1日であった

昼間は「人形と紙の上のみじかいおはなし」のDM撮影と打ち合わせ

竹村活版室までレンタ自転車
久万川沿いをこぐと高校の通学を思い出す
水面の鰡の群れ 
燃えるカンナの花

どっかの中学校の校内放送のロックンルージュが聴こえてたら遅刻
次回の展示会場である「竹村活版室」は
住宅地で少々見つかりにくいところにある。
県外のお客さん来てくれるだろーか
心配しても仕方ないのだ
お客様はとても偉い
いつも私の思いが至らないくらい偉い
初日の朝、いつも私より先に到着している
毎回毎回初日の開店から2時間あまりのことで 頭を痛めている
私の展示したい場所は だいたい狭い
年々狭い
今までで一番狭かったのは仙台の和田小店さんだった
竹村活版室はそこよりさらに狭い
 
嫌がらせをしているわけではないです
展示したいお店が偶然全てこじんまりしたお店なんです
外国人が好きなんじゃない
好きになった人が外国人だっただけ みたいな感じで
こじんまりしたお店はサイコーに良い
それはもう店をやってるひとを含めて
なんとなく空気が良い
安心する空気だ
猫や犬がせまいとこに入りたがるようなものかもしれないが
いやちがうちがう
好き を説明するなんて馬鹿だ
好き は好きでしかない

それはそーと 今日はたのしかったゼ
愛ちゃんに見せてもらった手漉きの和紙が美しかったよ
それは食べられるお煎餅のようであった
べんがら(赤土)で染めたサーモンピンクの紙に花のうたを
炭や三椏の葉を混ぜてある緑がかった灰色の紙に草のうたを
印刷したらよかろうな
夜になって思い出している
べんがら入りの方は海老せんみたいであったな、、など
みじかいおはなしを書く

それは くしゃみをするように

それは あくびをするように

それは ため息つくような
それは 鼻歌うたうよに

からだから発せられる 音のある息

夏の花といえば 八木重吉の「百日紅」という詩を思い出す。

百日紅をみたらば

たくさんに
いい花がさきみだれていた

紅くて そっとわたしの肩を
たたくようなきがした

追伸

「猫 自由律俳句みたい」を すべてのツイートで検索したら

先日病いで旅立った友人の2013年のつぶやきが 出現して

虚を突かれて泣く夜であった。

など